後藤正治著『奇跡の画家』(講談社 1700円)についての新聞記事が妙に気になりました。
その記事は1月17日(日)の日本経済新聞の読書欄の片隅に載っていました。
記事によると『奇跡の画家』という本は
《神戸(市兵庫区)の古い棟割り住宅に一人で住み、六畳間で淡々と絵を描き続ける(66歳の)清貧の画家》についてのノンフィクションだそうです。
その日の夜11時過ぎ、焼酎の湯割りをチビチビやりながら何気なく観るとはなしにテレビをボ~っと眺めていると
「 ?▼・☆ イシイカズオ α※γ~□⇒β◎・ 」
という名前がテレビ画面から聞こえてきました。
「オっ、 今日の新聞に載っていたあの画家のこと取材してるんやなぁ!」と思って画面を見ると、
それは「情熱大陸」というドキュメンタリー番組でした。
実質約24分の番組でしたが、
昼間に読んだ記事によると、石井一男という画家はかなり口の重たい方のようです。
困ってしまったベテラン作家の後藤正治さんが苦肉の策として「作品を受け取った側から光を当てよう」と方向転換せざるをえない程のシャイで寡黙な人柄だそうです。
それほどまでに口の重たい人物を
《移り気で派手なモノが大好きなテレビ》が
「どうやって取材するのだろうか?」という興味がありました。
結果は、「釘付け」でした。
慌ててビデオテープを探して、遅れ馳せながら録画をしました。
番組では、石井一男さんの一年間を追いかけています。
勢い余った若い?カメラマンさんが、口が大変重たい「画家」に「女神像は祈りなのですか?」と女神像を描くに至った心の中の想いを語らせようとしますが、石井さんから明確な説明を引き出せません。
そういう意味では、取材としては失敗している点はあります。
取材をしても本当に聞き出したい事については、ほとんど何も話をしてくれないし、
取材スタッフが「今日はこれでおいとまします。」と挨拶すると
つい嬉しそうな顔になってしまう「奇跡の画家」石井一男さん。
そんな人物に一年間も密着して、日々の生活を淡々と描いた点は
「よ~、やった!」
と誉めたいと思います。
「情熱大陸」の中で気になった一つの場面があります。
石井さんが電車(神戸電鉄?)に向かって手を振る場面です。
ナレーションは、
「孤独は、人生に色々な楽しみがあることを教えてくれました。」とつぶやいています。
私はどうも合点がいきませんでした。
「電車に向かって手を振る・・・人生の楽しみって・・・、好みの問題やろうかなぁ?・・・?」
後藤正治著『奇跡の画家』の中に
そんな疑問に対する一つのヒントがありました。
『奇跡の画家』によると
石井さんは、児童雑誌『こどものせかい』(至光社)の付録冊子「にじのひろば」に「乳母車」というエッセイを寄せておられます。
《あれは、夕刊紙を地下鉄の駅に運ぶ仕事をしていた頃だった。
体調が悪く、うつうつとした日々が続いていた。
(中略)
死が間近にかんじられた。
地下鉄の電車の中。
乳母車から赤ん坊を抱き上げたお母さん。
無垢な赤ちゃんの笑顔。
慈愛に満ちた母親の姿。
涙ぐんでいる自分がいた。
駅を下り、仕事道具のキャリーを手に、少し重い気分で帰り道を急ぐ。
その瞬間、目の前に閃光が走った。
ふだん、普通に見なれた風景が、そしてゴミのようなものまでが、美しく光り輝いて見えた。
幻覚なのか、死を間近に意識したことが感性を鋭敏にさせたのか。
そのふしぎな体験は、その後ギャラリーの島田さんという人との必然的な出会いによって、初個展が開かれ、・・・(後略)》
この文章を読むと、
石井さんの中で連綿と蓄えられていた想いが「女神像」として実を結ぶ大きなキッカケが
《電車の中》
で起こっていたのではないだろうか?
と思えなくもありません。
もう一度、ビデオを見直すと、
「孤独は、人生に色々な楽しみがあることを教えてくれました。」
・・・・・ そうかも知れんなぁ~。
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